人間と蛸

 

人間は蛸の吸盤のようなものでございます。
蛸全体が神様の意識でね、蛸の足が国とか、組織といった括りですね。
吸盤ひとつひとつが人間なんです。

その吸盤同士が争ったり、別の足だからとか言った理由で差別したり、と
それは変ですよね。
時にはひとつの吸盤が使い物にならなくなってしまうことがあります。
でもだからといって、その吸盤をリストラして切り離してしまう、見捨ててしまう、
それも変ですよね。

ひとつの吸盤が使い物にならなくなってしまった、そうしますとね、
他の吸盤が頑張って下さるんです。
病気の吸盤を気遣って周りの吸盤がその吸盤の仕事を代わって下さろうとするんです。

病気になってしまった吸盤もね、病の苦しみなんて持っておりませんよね。
蛸の一部であることを知っておりますから、自我我欲、自己保身の心なんてこれっぽっちもないんです。
我が、我がという気持ちがなくてね、自分のことなんてどうでも良くて、
ただ蛸全体の調和とその中での役割だけを考えておりますから、
病の苦しみを解脱しているのですね。

こういったことはね、実は人間も全く同じなんですね。

人は神様の意識の一部でございましてね、
魂は神様の意識と、万物の意識、全ての魂と繋がっているんです。
皆が同じ神様の意識の一部、細胞に過ぎないのです。

その細胞同士がいがみ合ったり、差別したり、心無い扱いをしたり、
それはね、どのように考えましても間違ったことなんです。
たとえば、心を悪に染めてしまった人がいる、そんな時にもね、
その同じ細胞同士であります人が正しい心を取り戻して下さいますように、
神様の意識と調和して光の中に戻って下さいますように、
手を差し伸べ、教え導いて差し上げなくてはいけないんです。

病の苦しみだってそうですよ。
神様の意識の一部、神様のひとつの細胞であることを知り、
神様の意識と調和し、大自然と、魂全体と調和することを第一に考えておりましたら、
病の苦しみも、自我我欲や自己保身も、
全ての苦しみさえも解脱して解き放つことができるんです。