天使の翼

 

天使の翼は、光の粒子で織り上げた純白の輝きを放つ美しいものでございます。

厳しく鍛え上げられた魂と、宝石のように磨き上げられた心、

本質を見抜く鋭い判断力を持ち、

幾度も幾度も地上での修行を繰り返し、

溢れんばかりの大きな愛と大きな慈しみをその心に蓄え、

何物にも決して汚されることの無い美しき心、強い意思と勇気、自由な心を持つが故の、

天使の翼でございます。

ですから、いと高き所まで舞い上がることができるのです。

 

私達は、どうでしょうか?

自らのその過ちにも気付けず、幾度も同じ過ちを繰り返し、

どうしようもない所まで落ちてようやくその罪に気付くのです。

地獄に落ちてしまってから、ようやく気付くのです。

ですから、人とは、本当に愚かな生き物でございます。

 

地獄という神様の慈悲、

反省という神様の慈悲、

その地獄がありますお蔭で、私達は闇の底へとそれ以上落ちることなく済んでいるのです。

 

今、私達は、高次元体であります神体の中に生かされております。

神様の愛の中に、慈悲の中にいるのです。

同じく神の意思、光の粒子で作られました大宇宙、大自然界の中にこの身体をお借りして、

生かせて戴いておりますものでございます。

太陽も、月も、星も、

草木や岩、海や河、風や空気、

その全てが神様の愛の現れなのです。

そうして、神様は常に私達を見守って下さっておられるのです。

 

その神様の愛の中、慈悲の中に生かされております私達は、

どうして愛することができないのでしょうか?

どうして赦すことができないのでしょうか?

どうして自分勝手な振る舞いができるのでしょうか?

私達は神様の与え給うたものを大切に、大切に守り育み、

心を正し、姿勢を正して、真摯に、真摯に、誠実に、誠実に、

愛し合いながら、赦し合いながら、助け合いながら、支え合いながら、

調和の中に生きるべきではありませんでしょうか?

 

それが適わぬ者には、神様は愛の鞭を持って容赦無く叩きのめすことであろうと思います。

 

約束し合って、家族として生まれて来て、

或いは約束し合って夫婦となり、

何故に傷付け合わなくてはいけないのでしょうか?

生まれ来ることを切に願い、神様のお慈悲で折角に生まれさせて戴いて、

どうして不満を持たなくてはいけないのでしょうか?

何故に好き嫌いが云えるのでしょうか?

 

仲間を傷付けないこと、

迷惑を掛けないこと、

無碍に扱わないこと、

私達がその生活の中で心しなくてはならないことが沢山あるように思います。

 

そうして、私達も、

誰でありましても、何者でありましても、

神様が遣わして下さった天使なのだと云うこと、

神様の子供であり、神体の一部なのだと云うこと、

それもまた、決して忘れてはならないことだと思うのです。