ブログより転載(2006年11月)
夫婦の正しい会話講座
夫婦の正しい会話講座の時間です。
今日は夫婦間の正しい挨拶です。
皆さんも一緒に声に出して練習しましょう。
おはよう(笑顔)
おはよう(笑顔)
コーヒー入れたよ
ありがとう(心を込めて)
いい天気だね
いい天気ね
小鳥が鳴いているね
そうね
散歩しようか
じゃあ、公園に行きましょう
行ってらっしゃい
行ってくるよ
帰ってきたよ
お帰り
今日、どうだった?
うん、上手く行ったよ
如何でしょうか?
挨拶一つ取りましても、できていないご夫婦って多いのではないでしょうか?
挨拶一つでも想いを伝えることはできます。
嘘でも良いですから、この挨拶を夫婦で協力し合って意識的に続けて下さいますと、
きっと末永くおしどり夫婦でいられると思うんです。
運気だって良くなりますし、職場や隣近所との人間関係だって良くなって行くと思いますよ。
神仏の慈悲の光(エネルギー)
人とは、傲慢なものでございますね。
神仏のお慈悲なしでは一瞬たりとも生きていることはできませんのに、
その神仏のお慈悲に感謝することもなく、ご恩返しのお気持ちもなく、
こうであって欲しいとか、ご自身の欲や希望ばかり仰っておられますように感じます。
そうしますとね、やはりそれも神様の法則で
想い通りにならないからと、落ち込んじゃったり、不機嫌になったりするんです。
人間関係も悪くなりますし、孤独感にも襲われます。
心の周りに曇りが生じましてね、
神仏の慈悲の光を受け取ることができなくなりますから、心が苦しくて仕方がなくなるのですね。
ですから、自分のためにだけ生きておりますような人は人生は辛いものになるのでしょうね。
自分で自分の首を締めちゃっているんですね。
ここにね、ある耳の不自由なご婦人がいらっしゃった。
聴神経の腫瘍でね、聴神経を大方取っちゃったんですね。
ある方がね、このご婦人に「耳が聞こえなくて不自由ですね」って聞いてみたんです。
そうしますとね、ご婦人は、
「いいえ、不自由なことなんてありませんよ。
耳が聞こえなくてもね、人の気持ちって心で分かるじゃないですか。
目を瞑りましてね、心を鎮めてみますとね、
人の暖かさが伝わって来るんですよ。」
って仰られたそうでございます。
人に対して冷たいのは、心が弱いからですね。
人に対して、もっと暖かな、優しい気持ちでね、
あなたが幸せになって下さるにはどうしたら良い?って
常に心の中に問い掛けましてね、
人のために生きるんです。
そうしますと、神仏の慈愛の光を受け取れるようになりますからね、
幸せな気持ちで一杯になれるんですよ。
心も暖かくなれるんですよ。
神様はこう仰って下さっておられます。
人に喜んでもらえる生き方をしなさいってね。
神仏の慈悲の光(エネルギー)はね、
私達の心に生きる勇気や意欲、安らぎを与えて下さいますね。
でもね、このエネルギーは不満がありますと受け取ることができなくなります。
疲れ易くなるんですね。
不満を持ちながら生きておりますと、心が疲れちゃうんです。
勿論、そこには吸血鬼のような、神仏のエネルギーを吸い取ってしまう地獄霊がいる可能性も高いですね。
どのような状況でも、心を乱さず、不満を持たず、
常に感謝と愛の心を持ち続ける、
私達の修行の目的の一つなんですね。
私達は今、その条件反射の訓練をしているんですね。
蛇足ですけど、
妖怪人間、黄金バット、どろろ、なんてアニメが昔ありました。
思い起こしてみますと、どうもおどろおどろしくて暗い雰囲気でございました。
そこには、やはり神仏の光は少なかったように感じます。
ミルクと砂糖入りコーヒー
最近ミルクと砂糖入りコーヒーを飲むようになりました。
驚くことに、コーヒーって覚醒作用だけではなく興奮作用もあるんですね。
お酒を飲んだ時のような快感も感じますね。
アルコールや脳に作用する薬物の類をここ7ヶ月ほど断っておりますので、
それでより強く感じられるのだと思うのですが、
それでも、ミルクと砂糖入りコーヒーにここまで強い薬物作用のありますことは驚きでございます。
思いますに、お酒は精神のみならず身体に対してもダメージの大きいものでございました。
飲み続けておりますと、間違いなく身体をボロボロにするんですね。
早死にしてしまいますね。間違いなくね。
それでも、美味しくて良い気分になれるので強い意志がなければ止めれない。
まるで小悪魔のような、キッチュな存在でございますね。
どのような薬物にも限度がありますからね、
お酒もほんの少しでしたら薬にもなるんです。
でも依存症の観点から考えますと、決して勧められるものではありませんね。
世相
人恋しい季節になりました。
人は肌寒くなりますと人恋しくなり、人恋しいから鍋を食べたがるといった傾向にあるようです。
様々な事件や社会問題が日々新聞やテレビを賑わしております。
でも、これもほんの氷山の一角にしか過ぎないんですね。
人が死んだからいじめが問題として取り上げられた、
飲酒運転が取り上げられた、
でも、目に見えない問題は無限に存在するんです。
いじめだけが、飲酒運転だけが問題ではないのです。
誰かの心の中に不調和ないい加減な気持ちがある、
見える、見えないに関わらず、それが社会問題に直結しているんです。
思いますに、殆どの人は正しく生きることの必要性が理解できていないのではないかと思いますね。
人の悪口を言わない人が一人でもいるでしょうか?
人の噂を聞いてよろこばない人が一人でもいるでしょうか?
人を見下したことのない人が一人でもいるでしょうか?
罪を犯したことのない人が一人でもいるでしょうか?
そういったことを自覚していて、日々の生活の中に反省する習慣を持つ人が一人でもいるでしょうか?
正しく生きるとは、そういうことなんです。
それができていないから、社会が不調和になっているんです。
自分達のまいた種で社会が汚れているのも関わらず、目に見えるほんの一部の事件に憤慨して、偽善者振る、
私を含めて皆そうなんです。
あなたが良くても、それじゃあ駄目なんです。
あなたは個であると同時に全体なんです。
沢山の白いボールの中に黒いボールが混ざっておりますと、それは全体の中の斑点、
すなわち汚れになります。
全てが白いボールじゃなきゃ駄目なんです。
って思います。
生活の指針
一年365日、日々行事があって、気候に応じた暮らし方があって、日本文化に則した祭祀があって、
日々の生活は自ずと定まってくるものであると思います。
天皇家ではそういった暮らしをなさっておられる。
勿論、気を抜く日があっても構わないと思いますし、
羽を伸ばす日があっても良いとは思うのです。
人それぞれに創意工夫といったものも、勿論あるべきでございます。
でもさ、もし今の憲法を自分達の手によるものに新しく作り直したいというのでしたらね、
そういった毎日の生活の指針を365日分掲載するなんて良いと思いますね。
憲法9条は変えないでさ。
今の日本にはそっちの方が大切だと思うんですよ。
そうしますと、それが自ずと教科書になって来るのですし、
それを100%理解できるようになりましたら、義務教育以上の学力は付いておりますでしょう。
他国と喧嘩し易くするための憲法ではなくてね、
国民が平和に、幸せに、豊かに暮らすための憲法にすりゃあって思うのですがなもし。
大ちゃん音頭を唄う
1つ人より力持ち
2つふるさと後にして
花の東京で腕試し
3つ未来の大物だ
大ちゃんあっぱれ人気者
てんてん天下のいなかっぺ
4つ弱気は見せないで
5ついつでも猛稽古
鍛え抜け抜け得意技
6つむしゃくしゃするときは
大ちゃんどばっと丸裸
てんてん天下のいなかっぺ
7つ七癖悪い癖
8つやっぱり治らない
9つ困ったずびばぜん
10でとうとうずっこけた
大ちゃんやっぱり丸裸
てんてん天下のいなかっぺ
(間違いがあるかも知れません。)
こぶたぬきつねこを唄う
うーん、知らないだろうね。(笑)
こぶたっ
たぬきっ
きつねっ
ねーこっ
こぶたっ
たぬきっ
きつねっ
ねーこっ
ってね。
ぶーぶぶっ
ぽんぽこぽん
こんこん
にゃーご
って、唄うんです。
繰り返して唄っておりますと頭が次第に麻痺して来ましてね、
こぶたっ
たぬきっ
きつね目の男
ってなったりするんです。
楽しいっすよ。(超軽)
正しい在り方
一体、何が正しい在り方なのでしょうか。もう全てが無茶苦茶で考える力もない国民が増大しているようですけど、
NHKは受信料という名目で集金するから受信していない人からクレームが付くんです。
税金として徴収するか、或いはどうしても受信料でなければならないのなら、
スクランブルにして契約者にだけ受信料と引き換えにスクランブル解除のソフトウエアを提供すれば良いんです。
テレビを購入するだけで受信料を支払う必要が生じる、そんなばかな話しも法律もあってはならないのです。
学校給食は弁当にするか、希望者だけ給食制度を提供する、
或いは教育税として徴収するか、そういった方法が正しい方法でございます。
強制的に給食を提供して金を払いなさいなんて、そんな押し売りのようなことは絶対にしてはいけないのです。
税金だって、日本の税金は他の先進諸国に比べますと安いんです。
もっともっと多くても構わないのですが、
支払えない人から支払わせる、そこに問題があるんです。
もし、そうする必要があるのでしたら、生活保護や貸付の制度を間違いなく機能させなくてはいけないんです。
国や公共団体がいい加減な事ばかりやっておりますから、
物事がスムースに進まなくなるんです。
異を唱える人が現れるんです。
何故、当たり前の行政ができないのか、当たり前の考えで、当然そうなるべき形に持って行かないのか、何故それができないのか、
恐らくはそこにどなたかの利権やいい加減な妥協、そういったものが介在しているんでしょう。
何も考えないと人は愚かなままでございます。
考えること、
日本を正しい形に戻すために、考えること、
総理も閣僚も国会議員も、国民も、
もっともっと正しい在り方を考えること、
そんでもって私利私欲を捨てて正しい在り方、調和の方向に向けて社会を変えていくこと、
人生
今生はね、一度きりなんです。
魂が腐ってしまわないうちに、
命のある間に、
どうやって正しく力一杯に生きるか、
そこに神の子としての人間の価値があるんです。
さあ、どうしますか?
明日を、今日を、今この時をどうやって生きますか?
トレロカモミロを唄う
ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃんちゃかちゃんちゃん
ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃんちゃかちゃんちゃん
ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃんちゃかちゃんちゃんちゃん
オレ!
牛は黒牛、凄い鼻息、五人がかりで、連れてきたが、
牛と闘う、男はどこだ、客は怒鳴る、早く出て来い、
その名高き〜トレロカモミ〜ロ
男の中の男だけど
トレロカモミ〜ロとても寝ぼすけ
闘いより昼寝が好き
ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃんちゃかちゃんちゃん
ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃんちゃかちゃんちゃん
ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃんちゃかちゃんちゃんちゃん
オレ!
考える力
考える力は、一体どこから生まれて来るのでしょうか?
少なくとも、何かに依存して生きておりますと考えることも任せっきりになってしまいますから、
考える力は弱いのではないかと思います。
社会に依存して、
組織に依存して、
常識に囚われて、
私利私欲に囚われて、
命に囚われて、
そういった状態では、あれ、変だぞって矛盾に気付くこともできませんでしょう。
少なくとも、自己責任で大自然の中で力一杯に生きておりませんと、いけません。
魂が自由でなきゃいけないんです。
そうしてね、視野を大きく、大きく、広げて行くことなんです。
自分よりも家族レベルの視野を、
家族よりも組織レベルの視野を、
組織よりも国レベルの視野を、
国よりも地球レベルの視野を、
地球よりも宇宙レベルの視野を、
宇宙よりも神レベルの視野を、
そうしますと、どんどん、どんどん見えて来るものが変わって来るんです。
今まで見えなかったものが見えて来る、分かって来るようになるんです。
詩のようなもの、その3
船
大海原に漕ぎ出した時にはもうペンキは剥げて錆び付いていた
そんな船で
音を軋ませながらの航海
それでもよくここまで来れたと思うよ。
どこまで行けるのかは分からないね。
海の女神がどこまで行かせて下さるのか。
まあ、それで良しとすることだろうね。
取り敢えずは謝っておこうと思う。
混沌
物質的なものはもうそこにはなく、ただ心だけが存在した
呼吸(いき)も感じず、血潮の流れも感じず、
ただ、波が何度も何度も繰り返し打ち返すように
悠久の時の流れだけがそこにあった
孤独というもの
ただ、心の中には無限の意識があって。。。
振部の御技(ふるべのみわざ)
以前にも書かせて戴きましたけど、昔、物凄い先生がいらっしゃった。
私はその方の講演テープを何十本も持っていたのですが、
その頃の私には、まだその先生が間違いなく信頼して良い先生であるか、を見分ける判断力が備わっておりませんでしたので、
残念なことに、引越しの折に処分してしまったんです。
今から考えますと本当に愚かなことをしてしまったと悔やんでおります。
その先生が講演のときにどなたかを壇上に呼び出して交霊を始める、
悪霊を説得し始めるんですね。
でね、その時に何やら呪文のようなものを唱えるんです。
「ふりゅーゆらゆらいらとふりゅー・・・」
余りにも早口で私にはそうとしか聞こえなかったのですが、
暫くしまして、それが振部の御技というものであることを知りました。
「ふるへゆらゆらとふるへ」って云っていたのですね。
魂結いするための、命を強化するための祝詞ですね。
また別の機会に、ある巫女さんが降霊を行っております様子を拝見しました。
そこでもこの振部の御技は使われておりましたね。
でもこの巫女はゆっくりと歌うような全く違った唱え方で唱えておりました。
合掌しまして、気を丹田に込めまして力一杯に唱えますとね、
誰だって全身がガタガタ震えてくるんです。手が大きく揺れましてね。
元気になりますよ。
じゃんけん
じゃんけんでね、
グーはパーに負けますよね。
ですから、グーは自分より弱いチョキを僕にしてパーと闘わせるんです。
そうしますと、チョキはパーに勝ちますから、
その親分のグーもパーに勝ったことになりますよね。
でもね、チョキは次第に、自分のお蔭でパーに勝てていることに気付くわけですね。
それで、グーの支配を離れて独立するわけですね。
で、それに腹を立てたグーはパーをチョキに勝たせてやろうとしてパーの味方に付くんです。
人間の世界も同じですね。
強い者なんて絶対に存在しない。
偉い人間なんて存在しないんです。
自分が上級の人間だと思っている人に限って、
下級の人間である部分を見落としているんです。
で、人間ってのは、皆が皆、俺様は偉いんだぞ、って思っていらっしゃるか、或いは
私はどうしようもない駄目人間だっておもっていらっしゃる。
必ず、どちらかに偏っているんですね。
恩着せがましかったり、もったいぶったり、虚勢を張ったり、
でも私は、あるべき自然の形でいいじゃんって思うのです。
何故、それができないのかな、って思うんです。
なんで必要でない余分なものを付け加えて、折角スムースに動き出そうとしているものに歯止めを掛けてしまうのかなあ、って思うのです。
欲を持ったり、執着してみたり、
神様が折角、ヨシヨシってお力添え下さろうとしているのに、
強引に捻じ曲げて地獄に足を突っ込んでみたり、
ものごとの自然な流れ、って普通に考えておりましたら当たり前のように分かってくるものなんですけどね。
矛盾
大衆はあたかもやせた土地に蒔かれた芥子種であるかのように、芽を出さず、乾き切って、
流行という風に右往左往しているように感じる今日この頃でございます。
幸せになりたい、そのための方法がわら人形であったり、
幸せになりたい人の掲示板が誹謗や中傷、噂話で埋め尽くされていたり、
それでも人はその矛盾に気付くことなく、
その方法で幸せになれる、願いが叶うなんて信じているのですね。
満足 と 不満
感謝 と 愚痴・悪口
祝福 と のろい
愛 と 憎しみ
心から生じるもの と そうではないもの
内面的価値のあるもの と 内面的価値のないルックスだけのもの
調和 と 不調和
真心の伴った人間関係 と 表面的なお付き合いの人間関係
神 と 悪魔
高次元の霊力 と 低次元の霊能力
思い遣り助け合うこと と けなしあうこと
尊重する心 と 見下す心
前者グループは幸せになれるもの
後者グループは不幸になるもの
それは神様の法則ですから、絶対に例外はないのです。
人はなぜそういった基本的なことが分からないのだろうかって思いますね。