ブログより転載(2010年7月)

 



意味もなく筆を進めてみる



暑い日が続きます。

そんな晩夏の候に飛び込んで参りました奇妙なニュース、

なんと日本で5本の指に入る高齢のおじいちゃんが、実は30年前に即身成仏していたとか。

おかしなこともあったものでございます。


即身成仏、なんてものは、高い次元から見ますと何の意味もないのですね。

単なる自殺なんです。


また、日々政治家さん方もテレビを賑わせておりますけど、

私たちは今、様々な経験をさせて貰っているのですね。

ねじれ国会という現象を始め様々な事象に対してどのように考えるか、

一つ一つ、経験して、魂に蓄積して行く、

その作業をしているのですね。


ところで、アセンションなんていう言葉がございます。

最近、流行っているようですけど、

地球上の人が3次元から5次元に上がるそうです。

またおかしなことを仰る人がいるものだなと感じていたのですけど、

人の魂は、現在平均的に4次元のかなり低いところにあります。

その中で、生きている状態で5次元の意識を持つ人は少ないでしょうね。

殆どの人が死んでも守護霊様のお力添えなくては成仏できない。

そんな人類が生きたまま全員5次元に上がるなんて、無理なんです。

不可能なんです。

あり得ないのですね。

としますと、考えられることは、

人類は絶滅して魂が5次元の霊界に上がる、ということなのでしょうね。

そしてまた、最近になりまして、ニビルという太陽系の惑星のことが

まことしやかに囁かれ始めておりますけど、

ニビルは3600年周期で太陽に近づく楕円軌道を持った惑星だと言うのですね。

そうして2012年がその太陽に近づく年に当たっていて、

地球にも大きな影響があるというのですけど、

そのニビル大木が地球を絶滅させるのではないか、というお話があるのです。

でね、おっさんは調べてみました。

紀元前1588年に、何か大災害が起こった記録があるだろうか、

紀元前5188年に、何か大災害が起こった記録があるだろうか、

ってね。

でも全くそういった歴史的事実はないのですね。

その間、エジプト文明はどんどん勢いを増しているのです。

要は、でたらめなんですね。

で、恐らくそんなことを言い出すのは魔に洗脳された人間が、

魔にそのように発言させられているとしか考えられないのですね。


何でも当たり前に考えて参りましたら分かるのですね。

科学だってそうですし、哲学だって、医学だってそうなんです。

そうしてまた、神理と言いますものもそうなんです。

逆に良いますとね、

神理の浅い部分に科学や医学、芸術、哲学や倫理学、政治学があるのです。

だって、そういったものは全て神理を研究する学問なんですから。


まあ、世間にはいろんなことがありますけど、

正しいものを一つ一つ見極めて行かれますことが大切なんでしょうね。



苦労について



何を苦労と考えるか、

それは人によりまして様々でありましょう。

ただ、生きることを苦労と考えますと、

死ぬこともまた苦労なんですね。

病を苦労と考える人は健康を維持することもまた、苦労なんです。

中道から同じだけずれているのですね。

その苦労は、超越しなくてはいけない。

超越しなくては、苦労は無くなりませんね。


これはね、実は頭で悩むから取り越し苦労になっているだけなのですね。

案ずるより生むがやすしきよしでね、

悩む前に行動する習慣が付いておりましたら、そういった取り越し苦労も減って参りますね。


淡々と生きて、やることやって、

前向きに生きて、生きて、

そうしますと前向きな考え方もできるようになって参りますでしょう。

誰がどうとか、輝きのある人生だとか、そんなの関係ねー!のですよ。

それがどんな人生でも、

自分の人生を前のめりに生きて死んで行くだけなんです。

あ、これは萬田銀次郎さんの言葉ですけどね、


ただ、抱える苦労が多ければ多いだけ、人生は大変ですよ。

ですから、抱えずに淡々と、黙々と、

そうやっておりましたら人生は早いですよ。

まあ、抱える荷物も成長の糧と思えば、

自分はこれだけの荷物を抱えて険しい山を登って来たのだと思えば、

また楽しく、自慢にもなりますでしょう。


なーんも悩み苦しむことはないのです。

少々悩んでみたところで直ぐに何かが見付かるものでもありませんし、

カネカネと必死に生きて沢山稼いだところで天には持って帰れないのです。

かえって脂の多い高級品ばかり大食して病気になって早死にするのがオチなんです。

それなら心に安らぎがある方が、

生活の中に安らぎがある方が、

命だって神様任せの方が絶対に良いのですね。


苦労は買ってでもしろ、ですか。

でもね、神様はそんなことは言いませんよ。

行き過ぎない程度の適度の苦労を悦びに代えて人生楽しく送りなされ、

それが神霊の想いではないかと思いますよ。

あたしゃそう思いますね。



おっさんの主張



「心が地獄模様では、いけません。」

おっさんは常々からそのように申し上げて参りました。

沢山の方にことあるごとに申し上げて、

沢山の反論を戴いて参りました。

「いえ、このような境遇で心に安らぎが生じるわけがありません。」

ってね。


でもね、苦しみは心から生じて参ります。

決して、境遇から生じて来るのではないのです。

どのような境遇にありましても、心を平穏に保つことはできるのです。

安らぎの境地に居ることは可能なのですね。


たとえばね、身内が殺された。

そのような時に、よくテレビのニュース番組などでは、

ご遺族の方が、「犯人を絶対に赦しません。」

なんて身内の仇を取らんとばかりに仰っていらっしゃる。


でもね、人を恨めば穴二つって言いますでしょ。

相手がどのような悪人でも恨んでしまえばその反作用は自分自身に返って参ります。

その所為か、必ずその人の心には苦しみが生じるのですね。


人がその命を失って天に戻ります。

そうしますとある程度は神理が分かるようになりますから、

こう考えます。

「犯人を恨むなんてそんな無益なことは止めて欲しい。

残った家族はみんなで仲良く安らぎの中に平穏に暮らして欲しい。

人を殺せば必ずその犯人には反作用が生じるのだから。」と。


そしてまた、心に苦しみが生じると言いますことは、

これは実に恐ろしいことなのですけどね、

心に地獄が生じて、その心が生み出した地獄の責め苦を受けている状態なのですね。

ですからそのような状態では守護霊様の声だって届きませんでしょう。

何をやっても上手く行くはずがないのですね。


ですからね、

心が地獄模様ではいけません。

心に安らぎがないといけません。

と、おっさんは常々そのように申し上げるのでございます。



魂の癖



魂の癖と言いますものがございます。

誰にでもあります。

たとえばね、

軽率

盲信

日和見

無慈悲

頑固

怠惰

依存

執着

甘え

冷酷

残忍

強要

自己中

守銭奴

傲慢

放棄

不満

優柔不断

無自覚

無分別

無配慮

無関心

と、少し考えただけでも沢山出て参ります。

誰でも、全てにおいて中道の偏りのない状態にあるかと言いますと、

決してそうではないのですね。

必ず中道から少なくとも一ミリ二ミリずれているものがあるのです。

全て中道を維持しているなんて人がおりますと、

その人は恐らく悟りを啓いているのですから。


たとえばね、あの人のここが間違っている、などと考える。

いえ、考えても良いのです。

それは考えますと反面教師としてご自身の姿勢を正すこともできるのですから。

でもね、自分にも間違っているところがあるのですね。

ですからね、お互い様、なんです。

どんなことでもお互い様、

誰に対してもお互い様、

それで魂磨きをさせて貰っているのですから、

ホントにね、感謝して前向きに互いに良い関係を保つことを考えることなんでしょうね。

まあ、平気で犯罪を犯すような人は避けるに越すことはないと思いますけどね。



意識の変化



意識はね、変わります。

それは間違いなく言えますね。

前向きな発言を心掛ければ意識は前向きになりますし、

後向きな発言をし続けますと意識は後向きになりますね。

10年一昔と申しますけど、

10年もありましたら人は全くの別人になってしまいます。

おっさんだって10年前と今では全く違う意識なんです。

くもの糸のカンダタからナポレオンに変わる事だって可能でしょう。

恐怖から抜け出そうと願えば抜け出せる。

勿論時間は掛かりますし、その間の様々な苦しみはありますでしょうけど、

苦しみが人を一層強くもして下さるのです。

人の陰口を叩き、揚げ足を取り、

依存症、執着癖、強要癖や嫌々病を抱えて不満ばかり言っていた人間でありましても、

意識して努力さえすれば変わるのです。

そうして人が変わりましたら、社会も変わりますでしょう。

ただ、昨日と同じではいけませんね。

変わろうとしなくてはいけません。


大丈夫ですよ。

おっさんも変われたのですから誰でも変われるのですね。

何も心配する必要はないのですよ。

嘆くこともないし、自己嫌悪になることもないのです。

そうして、変わりましたらそこからまた新しい未来に向けての一歩をね、

踏み出すだけだと思いますよ。



おっさんの夏、日本の夏



ほんまに、

夏ですなあ。

祇園祭に花火大会、土用うなぎにお盆と、

催し物が満載でんなあ。


汗かきますな。

湿気ますな。

嫌なにおいがしますな。

それでお部屋の芳香剤を買って参りますと、

これがまた、トイレと同じにおいがしますな。

ラベンダーの香り、ですな。

本当のラベンダーはもっと好い香りなんでしょうけど、

このラベンダーはトイレに咲くラベンダーでおますな。


来週にはうなぎを食べんといけませんな。



芽が出て、花が咲くまで



今は江原さんなんて仰る素晴らしいスピリチュアルカウンセラーの先生がいらっしゃる。

沢山の言葉を伝えて下さって、

今生の人は恵まれているなあと思うのです。

さらには30年前には高橋先生と仰るお釈迦様の生まれ変わりのような方も現れて、

素晴らしい教えを残して下さったのですから、

それはそれはもう今生に生きる人は過去のどの時代よりも恵まれているのです。


ただね、ただ、

江原さんの教えを聞いて、私はその神理を生活の中にこのように生かしています。

って人が一体どの程度いらっしゃるのか。

その場だけで感動して、暫く時が経ちましたらすぐ忘れてしまう。

さらには、自分自身が変化した。驚くほど変わった、ってな人が、

どれだけいらっしゃるのか。

本当に、少ないと思います。


今はね、神理を生活の中に生かすべき時なのです。

ですから高橋先生の後に江原先生が生まれて来て下さった。

困難にぶつかりましたら原点に戻って、

高橋先生や江原先生の教えを思い出してどのように現状を乗り切るか考える。

命懸けで試行錯誤してみる。

その姿勢がないから神理がいつまで経っても魂の中に刻み込まれないのではないかと思いますよ。


社会は、変わりますでしょう。

心配しなくても、

どの政党が政権を握ろうが、

そんなことはお構いなしに神霊はどんどん社会を次の次元に進めて下さいます。

それでも人の心がいつまで経っても戦国時代ではいけませんね。

死ぬの生きるの、勝ち組だの負け組だの、


おっさんは思うのですね。

現在を未来に繋げていく人は、きっと、

困難の中から命懸けで悩み苦しみ、試行錯誤して道を見出して行く人だろうなってね。

神理を自分なりに噛み砕いて間違いなく人生の中に取り入れている人だろうなってね。


今は誰に取りましても苦しみの時でありましょう。

でもね、そんな中からポッと灯あかりが灯るように人々を励ます人、

闇の中に神理の火を灯す人、

それは大きな変革の力となり、人々に生きる意欲を与え時代の道しるべとなりますでしょう。



5本の道



今、ご自身の目の前には、恐らく5本程道があると思います。

誰の目の前にもあるんです。

そうして、恐らく、手っ取り早く進める2本か3本の道を進んでみた。

で、行き止まりで引き返して、

あきらめてうなだれるのですね。


誰もがそうなんです。

誰もがそうして、そうなってしまうのです。

でもね、あと2本か3本の道が残っている。

どれか、その一本が必ず未来に続く道なんです。

それは或いは険しい道かも知れません。

目の前に、とても超えられそうにない大きな岩が立ちはだかっているかも知れない。

不安でいっぱいかもしれませんね。


障害はね、当たり前なのです。

障害のない道なんて何の思い出にも残りませんし、

魂の成長にもならない。

他の道が駄目だったら、その障害のある一番険しい道を進んでみるしかないのですね。


でもね、そこで良く目を凝らしてみることなんです。

考えてみることなんです。

その道が本当にご自身を輝かしい未来に連れて行って下さる道なのでしたら、

神霊はあなたに到底超えられない障害を与えたりはしませんね。

ですから必ず回り道があるのです。

命の危険を冒さずとも、その危険な障害の向こうに立つ方法を用意して下さっているのです。


守護霊さんがその障害を取り除いて下さる、なんて考えておりましたらいけませんよ。

必ず自分で探して見つけなくてはいけません。

でもね、必ずある。必ず見付かるのですね。

何度も言いますけど、

自己保存と、自我我欲と、自己中心を離れた客観的な中道の視点で探しておりましたら、

必ず見付かるのです。


道は、必ず未来に続いているのです。

未来に続く道が必ず一本ご自身のために用意されているのですね。



長野



おっさんは、人生で3回程長野に行きました。

一回目は高校の修学旅行で、二回目は大学の卒業旅行、

でもって三回目は去年ですね。

長野の駅に降り立ちました。

長野駅のホームからね、ガソリンスタンドが見えるのですね。

小さなガソリンスタンドなんですけど、

ENEOSのマークのあるガソリンスタンド。

おっさんはその光景を修学旅行の時から覚えていたのです。

何でか心に深く刻み込まれているのです。

そんでもって、去年、またそのガソリンスタンドをホームから眺めまして、

ああ、そう言えばあったなあ、と思い出したのです。


でもどうしておっさんが30年もそのようなどうでもいいことを覚えているのか、

高校の頃、恐らくこの景色だけは覚えておかなくてはいけない、と、

もう見れないかもしれないから覚えておこうと、

自発的に心ん中に刻み込んだ記憶があるのですね。

まあ、二度三度見ることは、結果としてできたのですけど、


色んな景色、皆さんの中にもあるんじゃないかなと思うのです。

それはね、忘れないことですよ。

つまらないことだけど、覚えておくことですよ。

心ん中にね、しっかりと刻み込んでおかれますことですよ。

10年、20年、

100年、1000年とね、

覚えておかれますことですよ。



調和の側面



調和とは、また別の側面から考えますと、それは「矛盾がない」ということであると思います。

ところがこの社会は矛盾だらけでありまして、

それは己の利を得ることが全ての行動の動機になっているのですから、

それは当然争いに塗れた社会であり、

調和どころの騒ぎではないのでございます。

世の経営者さんや政治家さん方はそれを当然のこととして何の疑問も持たずに、

平気な顔で「皆が幸せな社会」だとか、「命を護りたい」だとか、

仰っていらっしゃるのですね。

でもね、本当はそうではなくて、

私たちは、社会を調和させるために、

皆で助け合って、矛盾のない調和した社会を作ることを動機として、

そのために力一杯に課題に励んで、そしてまた自分たちも成長しようってんで

生まれて来たのですから、

その理念の差は、あちらとこちらの世界とは雲泥の差でありましてね、

まあ、企業家さんや政治家さんたちも神理を少しでも理解して下さって

もう少し良く考えてみて下さいましたら、

もっとマシな社会になると思うのです。

少なくとも正しい方向性が見えて来るはずなのですね。


魂の中にも神理に全く無縁の魂があるようですね。

そういった魂は平々凡々と実在界で過ごして、

平々凡々とこの世界に生まれて来て、

或いは平々凡々と守護霊さんぞになって、

何のために存在しているのかさえ分からず、考えず、

自分にゃ関係にゃー、なんて考えて素通りして行っちゃうのですね。

そういった人がどれだけの割合でいらっしゃるのかは分かりませんけど、

神理、今生でもご縁を大切にして欲しいと思います。

勿論、過去世で全くの無縁だったとしましても、

一つ一つ考え、正しく判断し、有益なものは取り入れて魂の栄養に、滋養強壮に、

そしてまた、社会を調和するための足掛かりとして、積み重ね

利用して下さいましたらと思うのです。



想念、言葉、行動 陰のある人、

なんて言いますと、ニヒルでかっこいいのかも知れませんけど、

腹に、心に?イチモツがある人、と言い換えますとなんだかな感じですよね。


言葉と、行動はね、想念から生じて参ります。

ところがね、

想念と言葉に食い違いがある。

想念と行動に食い違いがある。

言葉と行動に食い違いがある。

想言不一致、想動不一致、言動不一致となりますと、

そこには必ずズレが生じて、摩擦を生じますね。

その摩擦は反作用を生じ、課題を生じさせることになります。

想念と、言葉と、行動がピタッと一致して、始めて人生が想う方向へ向かうのですね。


これを車に喩えてみますと、(別に喩えんでもええのですけど、)

目的地があって、

ハンドルとアクセルやブレーキを間違いなく目的地に向けて操作して、

始めて目的地に到達できるのです。


目的地は、想念ですね。

ハンドルは言葉ですね。(ちょっと違うかな、、、)

アクセルやブレーキは行動ですね。


想念が浄化されて、

言葉が浄化されて、

想念に基づいて真っ直ぐに言葉がでるようになって、

想念に基づいて直ぐに行動に移せるようになって、

んで、その次が想念と言葉と行動の一致、なのですね。


線路が続くように課題もどこまでも続いているのでおじゃりますな。







少しですね、色と云いますものについて考えてみようではあーりませんか。

色はね、別に大自然界に色が存在しているわけではないのです。

原子の組み合わさった様々な色のない物質と、

そこに太陽から送られてくる光の素粒子が振動しながら溢れ返っている、

それが地球と言う惑星なのです。


その光の様々な波長を様々な色として捉えることのできる瞳、

それは全ての命の中のほんの何割程度の命に与えられたものなのですけど、

その瞳がありませんと、そこに幾ら眩いばかりに輝くダイヤモンドがありましても、

気付かない。

大自然界の美しさだって分からない。


原子の構成物でありましても、

それに触れて感じることのできる身体があるからこそ、

触れることもでき、認識することもできるのです。

そうでなければ触れることさえできないのですね。

素通りしてしまいますね。原子の間隔は物凄く、原子の大きさに比べて天文学的に広いのですから。

それに、原子でありましてもエネルギーの振動に過ぎないのですから。


神の子供であるからこそ、この身体が与えられたのです。

神の子供であるからこそ、神の意志をこのように見たり触れたりできるのです。


水晶球って、ありますでしょう。

例えばその水晶球の中に光源を入れますと、

水晶球の傷とか、微妙な色合いが表面に現れて参ります。

その水晶球の表面が私たちの住む多次元世界なんです。

いえ、三次元ではないのです。

この身体が三次元しか認識できないだけで、

この大自然界そのものが多次元世界なのですね。

そうして、水晶球の中には、神の意志、法があるのですね。

神が、わが子供達にりんごを与えたいと願いましたからこそ、

水晶球の表面にその意思がりんごの姿となって現れるのです。

神が、愛は美しい、としたからこそ、

地上で、愛の姿を成すものは美しいのです。

天は貴く、意思は硬いと決めたからこそ、空は高くて石は硬いのです。

悪は闇を好むと決められたからこそ、好ましくない虫達はじめじめした暗い場所に居るのですね。


その前提でね、例えば旧約聖書なんてものを読んでみる。

そうしますと、そこにはおっさんと同じ理論が展開されていることが分かるのではないかと思います。

それは神理というものなのですから、何千年も、恐らくこの先もずっと変わることなく、

変化したり、朽ちたりすることなく存在し続けるのです。

不生不滅、不垢不浄、不増不減、って般若心経にもありますでしょう。


意思が存在するからこそ、色がある、空もあるのです。

大自然界の目に見える世界は神の意志であり、

私達が神の子供であるからこそ見ることのできる美しい世界であり、

目に見えない世界も勿論間違いなく存在し、それは美しい世界のはずなんです。

そうしてそれは、間違いなく私たちのための神のご配慮あってそうなっているのですね。



猛暑日和



今年の夏は特に暑そうな気がします。

今日は安い肉屋で安い肉を鱈腹仕入れて参りましたおっさんです。

それでも、このような暑い夏には食中毒が発生しますから、

皆様もくれぐれもご注意下さい。

生肉は、よしこさんですよ。

街には鳩山邦夫ちゃんのお子様がみんなの党から出馬すると言うので、

邦夫ちゃんも選挙演説なさっていましたけど、

そのような候でもございます。

おっさんは選挙よりも、その人とお子様の関係性に興味がありますね。

特に、いらっしゃるのかどうかは存じませんけど、もし居るとしますと谷垣さんのお子さんなんどは、

本当に可哀想だと思いますね。

可哀想で見ていられないですね。


まあ、そんなことはどうでも良いのですけど、

ここで少し皆様にご報告と申しますか、おっさんの動向をお知らせしておこうかなと思うのです。

それは、おっさんは少し副業に力を入れようかなと考えておるのです。

いえ、6年程前までは色々とアルバイトのようなこともしていたのですけど、

その後ずっと本業やら、何かしらのお勉強をしていたのですけど、

秋口から少しずつ何か副業を探そうかなと考えるのです。

そうしませんと、おっさんも年が越せなくなってしまいますのでね、

まあ、サイトの方は続けて行こうと思いますけど、

少しばかり手薄になってしまうかも知れません。

まあ、そんなところで、ご理解賜りたく、こそっとお願いさせて戴きますね。



相撲協会は必要なりか?



それ以前にも、色々とあったと思うのです。

ただ、おっさんは相撲には余り興味はないのです。

ところが、そのおっさんでさえ記憶に深く刻み込まれる事件は、何度もありましたね。

まず、何とか部屋のお弟子さんが殺されちゃった事件。

それ以降、相撲協会は謝り続けましたね。

無気力相撲、

朝青龍事件、

やくざの親分が土俵のまん前に座っていた事件、

そして今回の、野球賭博事件。


相撲協会は、ここまできて未だ存在し続けているのです。

果たして、これはどういうことなのか、って思うのですね。

隠蔽体質だから、利権体質だからこんなに次から次へ悪事が明るみに出るのです。

ですからここは民営化にして、

誰でも相撲事業を手掛けられるようにすれば、

野球のようにどこの企業でも土俵を設置して、自社のチームを作れば、

そんでもってリーグを幾つも作って闘ったらええんやないの、

と思うのです。

何でそれをせえへんのか、それがおっさんには不思議でならないのです。


ほんまに、何でやの?

何でそうせえへんの?



おっさんの陰謀



さて、只今おっさんはある通信のソフトを開発しております。

屋内LANを使用したメッセージ交換システム、なのですけど、

実はインターネットを介してもメッセージ交換ができるという、

まあ、メッセンジャーとかありますけどね、

それよりももっともっと単純なもので、

要はLANとかインターネット回線上で井戸端会議ができる、というものなんですけど、

その名も、IDOBATA.COM

国際会議だってできちゃう。かな?

で、それによってもっと人の繋がりとか、人間愛とかが育めたら、ええやん、

ってなことを考えているのですけど、


何しろおっさんのやることですから、まあ、理想だけで現実的には実現しそうにはない話なんですけど

通信ってね、色々と難しいことがおまんにゃわ。

いえ、作るのは簡単なのですけど、使う時にゲートウェイの設定とか、ファイアウォールの設定とか、

その辺の作業が発生するのです。

まあ、基本的な概念を理解していなくては使えないのですね。

通信ソフトってみんなそうなのですけど、

それをどのように分かりやすく噛み砕いて操作手順書を書くか、

で、書いても使って下さる人が読んで下さるのか、下さらないのか、

悩み多きお年頃でございますよ。

はい。