ブログより転載(2008年11月)

 



慈悲を前提とした家族全員の協調の下に



家族運営とは、難しいものでございます。

勿論、それは表題の通りに、

慈悲を前提とした家族全員の参加と協調の下に民主的に運営されるべきであり、

家族全員が幸せでありませんと、

どこかに家族運営の歪みが生じているのではないかと思われるのですけど、

でも最近はいがみ合うご家庭が本当に多いですね。

やれ年金をよこせ、だとか、ご主人が生活費を入れないなど、

本当に、よく辛抱していらっしゃるものだなって考えてしまいますね。

ここに、こんな家族がおりまして、

いや、いると仮定しまして、経済的にどのように考えれば良いのか、

私なりの考えをお話させて戴きたいと思うのですけど、

婆様 68歳 年金、二ヶ月18万円(月額9万円)
ご主人 37歳 会社員 月収32万円
奥様 29歳 専業主婦 収入なし
長男 8歳 私立小学校二年生
住居は婆様名義 50坪
光熱費 月4万円
長男の教育関連費用 月16万円
食費、雑費 月5万円

としますと、

まず、長男の教育関連費はご主人様の月収の32万円の中から16万円
勿論婆様が教育に口を出されるようでしたら口出し料を出して下さいませんといけませんね。

次に家賃は若夫婦の残りの16万円から3万円程度を婆様に渡して下さいませんといけません。

食費と雑費、光熱費の9万円は婆様とご主人と奥様それぞれ3万円ずつ、
勿論奥様の分もご主人の収入から出されるべきですね。

ここで残額はそれぞれ、

婆様 9万円 ご主人 7万円 奥様 0円

となります。

でもね、ご主人の収入の半額は、奥様の家事労働に対する報酬であり、
それは決して全額がご主人が自由にできるご主人の収入ではないのですね。

ですから、婆様 9万円 ご主人3.5万円 奥様3.5万円

それがご家族様皆様の自由にできるお小遣いでございますね。

その中から貯蓄するもよし、遊興費に使うもよし、

ただ経済的なことが家族の全てではありませんからね、

バランスが取れないようでありましても助け合い、共に皆が幸せにお過ごし下さいますように、

ご尽力下さいますことが大切でございますよ。



アンコールワット



アンコールワットは素晴らしい、と思います。

誰でも、アンコールワットの遺跡から何かの気を感じ取るのではないかな、って思うのですけど、

私も小さい頃から何かそこに不思議な魅力を感じておりました。

それが何か、

それは、そこに命が宿っているのですね。

魂が入っているのです。

心を澄ましますと、それが今も息づいて動いていることが分かるのです。

ですからアンコールワットは素晴らしいのです。

迫力とか、説得力を感じるのです。

私も、もうずっと前から、作りたい、作りたいと思っていたのですけど、

どうやって作れば良いのかが分からなくて作れずにいたのですけど、

そうか、浮き彫りを彫って型を取って石膏で固めれば作れるぞ、

というのが分かりまして、

それでクシュリナ神の踊っている様子を置物に作ってみようかな、

と考えております今日この頃でございます。

あの、大きな顔のついた塔のようなものも作りたいのですけど、

細かなところの模様が分かりませんのでね、

分かりましても難しすぎるだろうなって思うのですけど、

水を溜めていた神聖な場所だったようですね。

それで神様を彫って神様に水を護って貰っていた。

人の手による最高の芸術だと思いますね。



表通りの花屋に寄って目に映る花を買いはたいてきた



表通りの花屋、

表通りでは流行物だけを扱っているのですね。

華やかでゴージャスで、めっちゃ高いのです。

で、売れ残ったものは裏通りの花屋さんに払い下げられるのですね。

裏通りの花屋さんは安くて、庶民向けのお店でございます。

表通りは儲けが多く、裏通りはそれなり、なんです。

人はウインドウショッピングをするにしましても、表通りを歩くのです。

決して裏通りをウインドウショッピングしたりはしないのです。

それはゴージャスなものを見ると心が華やぐから、

裏通りを歩いても心が華やかないから。

ですから裏通りの花屋を利用する人は地元の人間ばかりなのです。

そんな表通りの花屋さんで目に映る花を買いはたいて来た

恐らく、見栄えの良い高価な花に有り金全部注ぎ込んじゃったってことなのでしょう。

言葉には必ずそのような奥行きがありますね。

一つの言葉からどれだけの本質を感じ取れるか、

そこに理解や感受性は存在するのですね。



いかりや長助、大いに見返りを求む



いかりや長助さんは強引で傲慢な人でございました。

もし、今私の近くに彼がおりましたら、

私はきっと彼を毛嫌いしておりましたでしょう。

周りの人を強引に巻き込んで夢を実現させた。

過去にないほどの大きなドリフターズブームを巻き起こした。

仕事に対する信念と情熱は半端なものではなかったのでしょう。

彼がもし、今生で神理に出会っておりましたら、

彼は神理を受け入れたでしょうか?

いえ、そうとは思いませんね。

彼は間違いなく、神理など払い除けてご自身の生き方を邁進されただろうと思うのです。

周りから見れば100点ではなかったけど、ご自身の中では100点の人生。

じわじわ味が染み出してくる人間。

人は、人生は色々あるのだなと感じさせられます。

彼はね、恐らく神界の人であったのでしょう。

そして今生では力一杯に生きて十二分に使命を果たし、

一段と迫力を備えて帰っていかれたのでしょうね。

そう思います。



今生を力一杯に生きるために



ところでね、自衛隊にはこのような教えがあるそうでございます。

夜は寝るものと思うな

飯は食えるものと思うな

休みはあるものと思うな

私は、これは素晴らしい教えだと思うのですね。

既存の概念に捉われず、ナニモノにも執着せずに生きる。

生まれてまいりまして、短い命の期間、

霊界での鍛錬の成果を確実なものにして、

自ら仲間達に約束した使命を果たすために生まれてくるのです。

ですから今生は力一杯に使命を果たしたい、約束を果たしたい。

そのためには既存の概念に捉われておりますといけませんね。

心が甘えて弱くなってしまいます。

ですから、私もその教えを守りたいと考えてはいるのですけど、

そのくらいの覚悟で生きて行きたいと考えているのですけど、

つまづいてしまう事も現実には沢山あるのですね。

でもね、そのくらいの覚悟で短い命の期間を力の限り生きておりますと、

人生が楽しくなりますし、

遣り甲斐も半端ないものになると思うのです。

先の見えない暗い時代だからこそ、

その覚悟がありましてこそ自ら良い運気を掴み取って行けるのではないかと思うのです。

なにものにも負けずに生きていけるのではないかと思うのです。

ファイトですよ。皆さん。

ファイトー オー

ファイトー オー

ファイトー オー

ですよ。

頑張って参りましょ。



失敗する前提



試す価値のあることなら何でもやってみるといい、と思います。

成功すれば智恵になるし 失敗すれば笑い話になるからね

ただ、何もしなければ何も変わりませんよ。

失敗しても構わない、

失敗する前提で、それでも成功させてみせようと頑張っておりますとね、

いつかは必ず成功すると思いますよ。

たかが人生、されど人生。

苦しみも悲しみもうたかたでしかないのですね。

その中でどのように考え、どのように行動するか、

それが魂にとりまして大きな意味を持って来るのですね。



人生の閉塞と解放



人生が閉塞して行くなんて人は多いものでございまして、

人生がどんどん良くなって参ります人は少ないものでございます。

人間80年、と申しますけど、80年程度だから良いのでありまして、

これがドラキュラのように数百年、数千年と生き続けておりますと、

殆どの人が人生が閉塞して、

身動きが取れなくなって自殺しなくてはいけないようになってしまいますね。

では、どうして人生が閉塞して行くのでしょうか。

人生が閉塞して行く人には共通点があるように思いますね。

自らの罪を認めず、人を責めて人を赦さなければ、

ご自身も赦されることはありませんから、

折角のご縁も無駄になってしまい、

ご縁の数だけ人生を閉塞させてしまう、と、

そういった仕組みになっておりますようでございます。

最近のお医者さん事情もそうですよね。

リスクの高い手術をお願いして、それで命が失われてしまいますと医者を責める。

遺族は徹底的に責任の所在を追及して、医師を決して赦そうとはしない。

リスクの高い手術なのですからそれで命が失われてしまいますことは、

誰に責任がなくても生じる現象なのですけど、

それで感謝の気持ちも忘れて責め立てるのですね。

それでお医者様になる人が減ってしまって、救急患者がたらい回しにされて命を失ってしまう。

自らの罪を認めず、人を責めて赦さなければ、

どのような事象でも閉塞してしまうのですね。

では、そうならないようにするにはどうすれば良いのか、

人生を閉塞ではなく解放に向かわせるためにはどうすれば良いのか、

それはね、人を赦すことでございますよ。

一人でも沢山の人を赦して、反省すれば慈悲の心で赦して差し上げて、

それと共にご自身の中に責任の所在を追及することなのですね。

人を赦すだけではいけないのです。

ご自身も、一人でも沢山の人に赦されなくてはいけないのです。

ですから、ご自身も深く深く反省してご自身の中に責任の所在を見出して懺悔して、

間違った、或いは偏った在り方を訂正しませんと、

誰も赦しては下さいませんね。

ご自身が過ちを認めない人を赦さないように、ご自身も赦されないのですね。

これはね、難しいことでございますよ。

だって、人のことは良く見えるのですけど、

自分ことは余り見えないのです。

だって顔は自分の方ではなくて外を向いているのですから。

ですから、客観的な視点を持たなくてはいけないのです。

何度も申し上げておりますけど、客観的な神様の視点で反省する、ってね、

そういうことなのですよ。



夢日記



そこでは沢山の人が捕えられて働かされておりました。

そこに仲の良い大男と小男がおりまして、

ある日突然、その大きいのがこう云うのですね。

「オレ、何でもできそうな気がするな。」って。

で、分厚い鉄板を手でポキポキ折りながら、

要塞を造り、武器を作って、

それで皆を助け出そうとして頑張っていたのですけど、

その大きいのが捕まってしまうのですね。

それで車でどこかに連れて行かれそうになって、

でも、その車は爆発してしまうのですね。

で、小さいのが、煙の出ている葉巻型の武器を指に挟んで、

こっちを向いてニヤリとするところで夢は途切れるのですけど。

夢って、面白いものでございますね。



現象界とは



現象界とは、地上のことでございます。

この世界のことを現象界と呼ぶのですね。

何故か。それは、現れるからなんです。

何が現れるのか、それは心の中の世界が現象化される世界だということなのです。

住む人の心が天に通じますと、この世界も天国になりますでしょう。

住む人の心が悪に染まりますと、この世界は地獄になるのですよ。

と、そのように申し上げましてもまだ具体的に理解できない方もいらっしゃいますでしょう。

その昔、地上にエデンの園が存在しておりました頃、

人の心は調和されておりましたから、霊界とも通信できましたし、

皆がオーラを備えた美しい容姿をしていたのですね。

でもね、現象界の法則は恐ろしいものでございますよ。

人の心が悪に染まりますと、たとえ地上でありましてもそこに地獄が展開されましてね、

さらに住む人の姿も悪魔の姿に近付いて行くのですよ。

ですから、現象界なのです。

私は思うのですけど、

がめついおばちゃんは容姿も余り美しくはありませんね。

その延長線上がひょっとしますと悪魔なのかも知れませんよ。



ユダの生涯



ユダとは、キリスト様を裏切って裁判にかけさせたキリストの様の弟子でございます。

ユダは銀貨三十枚で師を売ったのですね。

最後の晩餐の時、キリスト様はユダにこう仰られました。

あなたは、生まれて来ない方が良かったのだと。

ユダは悔やみましたね。

自分の愚かさを嘆きましたね。

そうして、神殿に銀貨三十枚を投げ込んで首を吊って自殺したのです。



夢日記



その宗教団体の施設は陰陽図の形に建物が配置されておりました。

幹部以外は誰も入れないその中央部分にはなんと大奥があり、歓楽街がございました。

そうして、その運営は信者の財産と労働力で成り立っておりました。

逃げようとすれば捕まえて薬で意識を混濁させ、人格崩壊させてしまう。

本当に恐ろしい宗教団体でございました。


実際に地上に存在するのか、地獄にあるのか、悪魔の誘惑なのかは分かりませんけど、

でも、地上の宗教団体はどこでも同じようなものではありませんでしょうか。

信者を利用して幹部が酒池肉林、贅沢三昧で欲を満たす。

この構図に当てはまらない宗教団体なんぞ皆無でございましょう。

ただ、それが洗脳された盲目の信者には見えないだけなんです。



心は、騒がしかろう



その昔、お釈迦様のお弟子様でアサジという人がおりました。

お釈迦様の教えを守って正しいお心で日々反省し、八正道の実践に努めておりますと、

自然ともの静かなお姿になって行かれましたそうでございます。

そのアサジ様のお姿を見て、

それだけで師の素晴らしさを見抜かれました人もおりましたそうでございます。

心の中に色んな雑念がある。

執着があり、心を煩わせる感情が生じる。

その心はどんなに騒がしいものでございましょうか。

でもね、お釈迦様の教えを実践しておりますだけで、

海のしじまのように波は静まり、

夜の帳のように心が澄み渡って来るのです。

これがアラハン(羅漢)の境地なのですね。

お心を澄まして、お心静かに暮らす。

それもまた良いものだと思いますよ。



幸せな人生



今生を正しく幸せに生きるために大切なことを挙げ連ねてみました。

挙げ連ねる、紀貫之、イエイ!

1.今生を正しく前向きに力一杯有意義に生き抜く心構え

2.生き甲斐

3.解き放たれた魂

4.強く輝くオーラ

5.波立たない安らかな心

6.神理という太い鋼の一本の芯

7.私達を生み、生かして下さっております神霊への義と信仰

8.八正道に基づいた正しい生活習慣、判断力、条件反射

9.満足して感謝する心

10.人を赦す慈しみの心

11.調和を心掛け、仲間を大切にし、強調し尊重する愛の心

12.未来に向かって建設的に、社会、人、己が共に向上する努力を怠らず、

   調和(幸せ)を得ようとする意識。


他にも沢山あると思います。

皆様も考えてみて下さいませ。



正法者の友人関係



正法者としての友人関係は難しいものでございます。

正しく生きようとしております以上、正しくないことは訂正しなくてはいけません。

たとえ友人でありましても、間違ったことには訂正を求めなくてはなりません。

勿論、その前提には愛が必要ですし、

その友人に対して最も与えるべきものを正しく与えることが必要なんです。

時には妥協することも必要でしょうし、

時には厳しいことも言わなくてはいけない時もあるのです。

でもそれは敵味方ということではなくて、仲間として、味方として、ライバルとして、

相手を尊重した上で発言しなくてはいけないのです。

思想の押し売りも絶対にしてはいけませんしね。


正しく生きようとしております人間同士が友人になる。

そこに、なあなあの関係は許されないことでありまして、

間違ったことでさえも人情から正しいとして、傷を舐めあうような関係は、

正しく生きようとしております人にはお分かり戴けるはずなのですけど、

そのような関係は反吐と共に吐き捨ててしまいたい程に受け入れ難いものでございます。

正法者にはそういったなあなあの友人関係は必要ではないのですね。


ところで、私の友人の中にも空き缶を放ったらかしにするような人がいらっしゃいます。

モラルや道徳といったことでは、私も余り口煩く言いたくはないのです。

ご自身で気付いて欲しいのです。

ですから、そういった人とは少し距離を置いて見守りたいと考えてしまいます。

それにこのような友人関係は殆どの方は理解しては下さらない。

私自身にも徳がありませんのでね、自分のことを棚に上げてよく人のことが言えたものだって、

思われてしまいますね。

友人とは、本当に難しいものだと思います。



ノラの命



ノラの命は儚いものでございます。

全く見掛けなくなっておりましたワルとオドの茶毛コンビが、

既に死んでしまっておりましたことが判明しました。

原因は分かりません。

悪いものを食べたのか、

怪我したのか、

傷つけられたのか、

病気なのか、

その小さな命は、一年もしない間に失われてしまったのですね。

ノラとして生まれて、

生まれて来たことが良かったのか悪かったのか、

そこに何らかの意味があったのか、

無かったのか、

何のための命だったのか、

幸せだったのかそうではなかったのか、

それは私にも分かりません。

神様は、その小さな命を、この世界の管理を私達ヒトに任せて下さったのです。

神様の子供の中で最も傲慢で、最も未熟な人類に任せられたのです。

それを私達はもう一度認識しなくてはいけないように思います。


太陽にも心はあるのです。

太陽は、無償で命の限り、光を与えて下さっている。

不満も無く、秩序を乱すことも無く。

恐らく、その心の中には、愛しかないのでしょう。

その太陽にも心がある。

それは事実なんです。


宇宙は私達の身体と同様の高次元体の仕組みで構成されているのです。

銀河系は臓器・器官ですね。

そして太陽系は細胞なんです。

太陽は、細胞の中にある核なんです。

惑星や衛星は細胞を構成する要素ですね。

ですから、宇宙に存在する恒星の数と私達人間の身体に存在する細胞の数は、

同じなんですよ。

これは先生も仰っておられますけど、

その細胞の一つ一つが高次元体であり、心を併せ持っているのです。

太陽も同じなんです。

全てが、神様の子供であり、愛を持ち、慈悲の心を持っているのです。

そして、調和を目的に存在しているのです。

悲しみもあり、喜びもある。

本当なんですよ。


ですから私達人も太陽のようにならなくてはいけない。

命は、特に小さな命は、大切にして差し上げて下さい。



神理の狩人



一度神理の素晴らしさに触れますと、誰でも神理を追い求めるようになります。

これを中島みゆきさん風に表現しますと、

神理の狩人になる、ということになるのでしょうか。

狩人といいましても、兄弟で歌を唄う人ではありません。

勿論兄弟だからと云って、おすぎさんとぴーこさんでもないのですけど、

祝詞や御真言を唱えなさいと言いますのは、明神様や天狗・仙人クラスの少し低い神理ですね。

どうしても他に方法がないのであれば命懸けで唱えてみなさい。

と教えて下さっているのですね。

でも、原因を取り除かずに唱えましても効果も何も出るはずはないのです。

それに穢れた心では逆に危険でしょう。

反省して、原因を取り除いて、祝詞や御真言を唱えてみる。

数日、数週間、数ヶ月掛けて、腰を落ち着けてじっくりと唱えてみる。

そうしますと必ず道は開けて参りますものでございます。

そうして、更に高い神理を狩る狩人へと目標を上げて行って下さいますと、

必ずまた、一段と高い神理を手にすることができますでしょう。

自分に妥協しないこと、これも大きな課題ですね。



ひとり暮らしのアパートで



ひとり暮らしは22歳の時に始めまして、それからもう二十数年経ちました。

当初は日の当たらないなんとか荘といった名前の共同住宅の、

トイレの隣の少し臭くて汚い部屋でした。

その部屋だけ風呂が付いておりましてね、

裸電球の薄暗い、ちょっと恐い位の風呂でね、

毎晩遅く帰って参りまして、その風呂に入るのですけど、

恐かったですね。

次第に仕事が忙しくなって参りまして、

会社を夜の11時に出まして、帰宅が12時半。

それから歩いて15分程かかるファミリーレストランに参りまして、

食事をして、お酒も少し戴きまして、帰って来てその恐いお風呂で入浴しましてね、

その頃にはもう夜中の3時頃でしょうか。

それから就寝しまして朝6時半起床、と

そんな生活が1年ほど続きましたでしょうか。

辛かったですね。

その頃に同年代位の若い女性がそのなんとか荘に引っ越してこられましてね、

夜、私に「こんばんわ」って挨拶して下さったのですけど、

綺麗な女性でしたね。

廊下に公衆電話が一台ありましてね、

ある夜にその女性がどこかに電話しているのですね。

「私も働かな食べて行かれへんやん。」

そんな言葉が薄い壁板を通して聞こえて参りましたことを覚えております。



神理への到達



この世界は盲目でありますから、色んな人が色んなことを言います。

悪霊に扇動されて、

欲に心を奪われて、

悪質な洗脳を受けて、

盲目ゆえに色んなことを言います。

ですから、何が本当に正しいものかも見抜けない。

また、正しいものを見抜く基盤となるものもないのですから、

親亀の上に小亀を乗せて、小亀の上に孫亀を乗せて、

その親亀の足元がぐらつくようなことにもなってしまうのですね。

でもね、私達を生んで下さいました意識、

さらには私達の置かれております環境は間違いのない事実であり、

それを足掛かりにしますと、

少しずつでも確実な理論を積み上げて参りますことは可能なことであるように思います。

真理に触れる。

私は、それをそのまま安易に受け入れて戴きますことは危険この上ないことであるように

思うのです。

疑ってかかるべきだと思うのです。

どんなに高い意識の持ち主でありましても、間違った発言をしてしまうことはあるはずですし、

それで人生行路を誤ってしまわれます方も多いからです。

でもね、一つの言葉を真摯に誠実に考え続けて下さいましたら、

必ずいつかはその言葉の真偽が分かるようになりますでしょう。

そうすることによってのみ、私達は何ものにも覆されることのない、

確たる神理に到達することができるのです。

でもね、そのように神理を正しく追い求めておられます方は全体の1%にも満たないのですね。

でもね、その1%弱の方は、必ず神理に到達できるのです。

本当に正しいことを、言葉の真偽を見抜けるのです。

良いですか?

どこかの宗教団体の教祖程度の説教でしたら、

私は高校生の頃に既にしていたのですよ。

善悪の概念なんて誰の心の中にもあるのですし、

少し本を読んで知的に情報を蓄積しますと誰だってできるのです。

でもね、心を忘れて知識に走りましても、そこに光なんて生じるはずはないのです。

いい加減なことが沢山含まれているのです。

ですからね、気を付けて欲しいのですよ。

そして何十年か後にはご自身の確たる根拠を持って、

本当に正しい神理に到達して欲しいのです。

そうでなくとも、光の方向だけは確信を持って、

光の方向に力強く進んで欲しいのです。

その為には、真摯に、誠実に、必死になって心を研ぎ澄まして考えて欲しいのです。

皆さんは恐らく私よりも優れているのですから、

必ず神理に到達できる筈なんです。



同性婚



カリフォルニアで同性婚を違法とする州法ができたそうでございまして、

残念なことだと思います。

心と身体の性が異なる、なんてよくあることでしてね、

母親の胎内で卵子が細胞分裂して成長する一時期に特定のホルモンを浴びるか否かで、

身体の性は決まってまいります。

魂の性は本から定まっているのですね。

霊体が女性になったり男性になったりすることはなくて、

6人の魂の兄弟の内の何人かが男性であり、何人かが女性なんです。

そうして、上記の理由で、或いは修行の為に希望して意図的に

異なる性で産まれて参りますことで、

性同一性障害なんて現象が生じるのですね。

勿論、恋愛する上では、性は大切なものであるように思います。

ただ、人生は恋愛だけが全てではないのですけどね。

それでもね、人生を楽しく有意義に過ごす、

その為には性の区別に依らず、愛する人と夫婦となり共に暮らすことも、

必要なことなのではないかと思うのですけどね、

でも、それが法的に認められない。

何と頑固で頑なな法律ではないかと思うのです。

未来には全世界で同性婚が認められる。

そうなって欲しいものだと私は思うのですね。



アカシックレコードについて



心の奥底には、

宇宙や過去生の一切のことが記録されたアカシックレコードといったものが存在します。

これを「ぱにゃぱらーみたー(般若波羅蜜多)」というのですよと、

以前に書かせて戴きましたことがありますけど、

お釈迦様のように悟りを啓きますと、

心の次元がアカシックレコードの存在する場所に到達するわけですから、

自在にその中の記憶を蘇らせることができるようになります。

ですから、過去世で住んでおりました異国の言葉を話したり、

過去世で得た縁者との再会を今生で懐かしみ合ったり、

人のアカシックレコードを覗いたり、神霊や宇宙の真実を知ったり、と

そういったこともできるようになるのですね。

でもね、そこまで心の次元が上がらなくても、

心を浄化して、研ぎ澄まして、神理にそった生活をしておりますと、

自然と、アカシックレコードの中にある情報が

想念の中に浮き上がって来たりするものでございます。

或いはそれは守護霊様が教えて下さるものかも知れませんけど、

その区別は私には分かりませんけど、

心の中に今まで使ったことのない、使い方も知らない言葉や考え方が浮かんで来たり、

勝手に文章が次から次へと出て来たりするのですね。

そうして、想念や行い、生活が調和されるに従いまして次第にそれが頻繁になって来るのです。

そうして、どのようなことでも考えますと分かるようになって、

視野も広がって参りまして、

人生が幾らでも上手く渡れるようになって来るのです。

何でも分かるのですから、それは当然ですよね。

似たような現象に、魔物が心に棲みついていろんな情報を与えたりすることがございます。

こちらの方はその情報の中には嘘が混ざっておりますし、

心にも安らぎや暖かさがありませんからすぐに判断できると思います。

ですからね、皆がこのアカシックレコードを自在に活用して、

今生を本当に素晴らしい、遣り甲斐のあります幸せな人生にできると良いですよね。

そう思います。



仕事とは



仕事とは、元来楽しいものだと思います。

今の時代は企業に就職することが当たり前のように考えられておりますから、

ちょっと不況になりますと働く場所が見付からなかったり、

40歳代にもなりますともう経営者の方が年下なんてことも多くなって来るのですから、

当然、雇う側も、「それだけ年齢を重ねているのだから」と、

自分より年輩で起業するくらいの意欲もない人は採用しようという気にもなりませんでしょう。

そんなわけで、どこの企業にも採用して貰えないと嘆く人は多いものでございます。

でもね、仕事なんてどこにでも転がっていると思うのです。

例えばね、

地元の観光地、名所、旧跡を人力車で案内して差し上げるようなお仕事はできないだろうか、

とかね。

そうしますと、元手は人力車を買うお金だけですね。

それで頑張って体力をつけて、

名所、旧跡の由緒を頭に叩き込んで、

それだけでお仕事なんて簡単に始められるのですね。

欲のあります人は土産物屋とか食堂と契約して、

「お客様を連れて来て差し上げますから、リベートを下さい。」とかね、

「何か値引きとかの特典も考えて下さい。」とか、

そうして双方にメリットが生じるように考えますでしょう。

そうやってね、一人で何でも考えて実行に移しておりますと、

楽しいものではないかと思うのですね。

少なくとも会社勤めでわけも分からずに会社の歯車になって、

信念までも折り曲げて我武者羅に働くよりも楽しいと思うのです。

責任は伴いますけど、権限が全て自分にあるのですから、

それほど楽しくて遣り甲斐のある働き方はないと思うのですよ。

そうして、正しく楽しく力一杯真面目に働いておりますと、

最低限の暮らしはできるようになるのです。

それは、必ず守護霊様方が応援して下さるのですから、

必ず生活できる分は収入が得られる筈なのです。

まあ、そうなるように信念を持って誠実に命懸けで頑張った上での話ですけどね。

ニートさんでも引き篭もりさんでも、

働きたくない、自信がない、なんて不安がっていらっしゃる方もおられると思いますけど、

自分がこれならできそうだ、楽しく働けそうだと思われますお仕事は必ずあると思うのです。

落語でもね、何もできないようなバカな子供に「孝行糖」といって飴を売らせますと

思いの外繁盛したなんて噺もあるのですから。

やる気さえありましたら、必ず何か制約の範囲でできることがあると思うのです。

でも、努力は勿論怠ってはいけませんよ。

ホームページを作りたい。

では作り方を覚えれば良いのです。

前向きに取り組んでおりましたら、たとえ歩みは遅くとも必ず目的地に到達できるのです。

そうやってね、智恵を働かせて、

不況に負けずに、境遇を社会や人の責任にして愚痴をいわずに、

頑張ってみられましたら必ず道は開けてくると思いますよ。



課題



私は高木ブーさんの内面のことは殆ど存じ上げません。

私は幼少期に、八時だよ全員集合を見ておりまして、

周りの大人たちと一緒になって高木ブーさんをバカにしておりましたように思います。

ところがね、彼はウクレレも上手に弾きますし、

その昔、ドリフターズは楽団でありまして、

彼も皆と同様に譜面を読み取って演奏にも参加していたのです。

気の利いたことも言えず、面白くもなく、ぶくぶく太って、暇があれば寝ている、

そんなイメージを持っていたのですけど、

ある時、いかりやさんに云われたそうなのですね。

お前は、何もするな。その方がドリフターズは面白くなるんだ。ってね。

だから彼はバカにされても、ただ、何もせず、

周りの空気を面白くすることに専念していたのですね。

芸人は、前に、前に、出ようとしますね。

それが彼らの習性なんです。

バカにされれば反撃に出て、大きな声で気の利いたツッコミを入れる。

それでお金も戴けるのですし、人気も上がって行くのです。

最近は色々とクイズ番組が目白押しですけど、

皆が、賢く思われたい。余りおばかと思われたくない。

そのように考えておりますことは一目瞭然でございますね。

そうして、その意識がまた、努力してクイズで皆から先んでようとするバネになるのです。

でもね、高木ブーさんはバカにされてもただ黙ってそれを受け入れて、

何か云いたくても我慢しておでぶちゃんに徹する。

それはどんなに屈辱的なことかと思いますね。

そうして、そのことはまた同時に、彼の懐の大きさを物語るものだと思うのです。

ある時、先生はこのように仰られました。

実るほど頭を垂れる稲穂かなの心境になるべきである。

屈辱に耐え忍辱の心で人を赦す、それが心を一層丸く豊かにするのだ。とね。

私達に与えられておりました課題は、実は正反対のことだったのですね。

ですから、私は、私に一つの大きな課題を与えようと思います。

それは、バカにされること。

人より率先してバカになること。

バカといわれても喜んで受け容れられるようになること。

バカといわれても反抗しない心を持つこと。

そうして、その課題は私が生まれたときから

既に与えられていたのではないかと思うのです。

何故なら、私はバカといわれて育てられたのですから。

それは本当に有り難いことだったのかも知れません。

ただ、勿論その言葉は

殆どの人には不調和な心を生み出す毒になってしまいますでしょうけどね。