光の教えと闇の教え

 

光(神)の教え

闇(悪魔)の教え

心・精神的

物質的

心が祭壇である。人の手によるものは祭る必要はない。

神仏を祭りなさい。

神殿は無い。天が神の王座、地が足台である。

豪華で大きな神殿

キリスト様やお釈迦様の教え(正法)は永遠のものである。

キリストや釈迦の教えは古くなって時代にそぐわなくなってしまった。
日蓮様の教えがその替わりとなるものである。

経はお釈迦様の教えであり、唱えるものではなく、内容を理解して実践するもの。

経を唱えなさい。

正しき教えを見極めるためにまず疑うこと。

教祖は神仏の使いであるから疑ってはならない。

人は高い意識により創造されたものである。

人は動物から進化してきたもの。

魂は輪廻転生して何度も生れ変わる。

魂は輪廻転生しない。人生は一度きりである。

実在界はより高い次元に存在する。

実在界はこの3次元に存在する。
或いは存在しない。

自らの心が罰を下す。

神罰が下る。

意識・心は別次元に存在する。

意識・心は脳が生み出したものである。

悪霊の憑依を避けるために心を正しなさい。

悪霊の憑依を避けるために入信しなさい。

反省、感謝、愛、慈悲、正しい労働、正しい生活

寄付、奉仕活動、勤行



寄付、奉仕活動、謹行につきましては、
教祖が寄付や奉仕活動、謹行を強制する在り方が間違ったものであるということでご ざいます。
心が伴わないそういった行為は何の意味もないものであり、
また、 寄付は教団などにするものではなく、経済的に困っておられる方にするものではない でしょうか。
奉仕活動は、自らそういった意志を持って弱者のため社会のため自発的に参加すること は素晴らしいのですが、
教団のため、教祖のための奉仕活動は正しいものではありませんね。
謹行も心が伴っておりませんと何の意味もないものでございます。

そういった行為に拠りまして、誰が利益を得るのか、
これは真に必要な方に利益が回って行くようでありませんと、 正しいものであるとは云えません。

経済的困窮者に対しての寄付、
社会を良くするため、生活弱者に対しての奉仕活動は
勿論、反省や感謝と並ぶ大切なものでございますが、
謹行は二の次、三の次で良いように思います。
でも謹行が目的であってはいけませんね。
心を正し豊かに大きくするため、
社会を正しく明るい調和されたものにするため、
それが大義でございます。
そのための行為でありましたら、素晴らしいものということになるのではないかと思 います。

それから、日蓮様の教えも素晴らしいものでございますが、
その教えの前提として、お釈迦様の正法がなくてはなりませんね。
日蓮様もそのつもりで教えて来られたのだと思いますよ。